2008年07月18日
Posted by {^L^} at 2008年07月18日00:11 Comment(2)

山越うどん

山越うどん

山越うどん

この行列を見たら、なんの店か知らずとも、思わず自分も並んで見たくなるだろう。
しかしこの店は人里離れた場所にあり店の裏はもう阿讃山脈だ。 行列は全国からこの店を
目指して来た人ばかりだ。

さぬきうどんブームはこの店無くてはありえなかったと言っても過言ではない。 有名店の
中でも別格のお店だ。 普段から製麺所の出来立ちのうどんを食べていたさぬきっ子でさえ
初めてこの店のうどんを食べた時には度肝を抜かれた。

お店自体は昭和19年創業だから、昔からあった訳だが、今らか20年ぐらい前から近所の人が
どんぶりを持ってきて、その場で食べて帰るようになった。 この近所の人の中には、お向
かいの、駐在所の巡査さんも含まれる。

その中でも、当時柏原渓谷のTaTsuTaの森で勤務していた綾川町の職員の人が、ある日、
どんぶりと一緒に卵も持参して、釜から抜いたうどんに卵を割り入れて食べた。

これが、後にさぬきうどんの歴史を変える事になる、【 釜玉 】の始まりであった。

月見うどんなら、昔から当たり前のようにあったが、うどんの卵かけご飯版とも言えるこの
シンプルな食べ方は、これが日本の第一号と思われる。

釜玉の美味しさは、郷愁の味だ。 誰しも幼少の頃、風邪をひいて寝込んだら、母親が作って
くれた、卵かけご飯の味を覚えているだろう。 

つまり釜玉は母親の愛を思い出すソウルフードな訳だ。

しかも、卵かけご飯とは違い、麺の温度が高い分、玉子が半熟になる。 小学絞で習ったよう
に生卵よりは、半熟卵の方が消化が良い。 うどんがつるつるとより喉越しがよくなる。

物価の優等生の卵を割りいれるだけなので、手間いらずと3拍子揃った食べ方だ。

山越の名声が上がると共に、釜玉を出すうどん屋さんも増えていった。 るみ婆ちゃんの池上
も、もし釜玉と言う食べ方がなければ、今の隆盛はなかっただろう。

香川県は、釜玉の発明者を表彰すべきである(笑)> 半分本気だ


お店から借用した当時の写真:





恐るべきさぬきうどん等を通して、山越のうどんの美味しさと、釜玉と言う言葉はうどん
マニアの知る事となった。

その頃は行列など無縁で、お昼前にさえ行けば、つやつやピカピカのうどんが食べれた。 
折りしも、さぬきうどんブームが沸き起こる直前の平和な時分だ。

さて、商売のチャンスと言うのは人生の内に何度かあるが、そのチャンスを逃がしてしまう人が
ほとんどだ。 山越の人たちはとにかくまじめに、前向きに押し寄せるお客さんに取り組んだ。

大量にうどんを生産する製麺所なので、当時から生産能力は普通のうどん屋さんとは比較に
ならないぐらあった訳だが、食べる場所も狭く押し寄せるお客さんをさばけなくなると、店を
改造して、奥で食べれるようにした。

今度は駐車場が足りなくなって、近所の土地を借りて駐車場を拡張した。 押し寄せる客は
増える一方で、今度は食べるスペースが足りなくなり、店の裏手を拡張した。 そうすると
またお客さんが増えて、道路があふれ、第3駐車場も用意した。

書くと順調に商売が拡張したようにも見えるが、1杯 100円のうどんを 1000杯売っても
10万円の売上にしかならない。

行列をさばいて、目の廻るような思いをしてたったの10万円の売上にしかならないと言う事だ。

普通の流行っている一般店のうどん屋さんは、客単価 500円で 200人~400人ぐらいさばく
ので、ずっと効率の良い商売な訳だ。

1000杯のうどんを出す代償に、山越の大将は何度も病院のお世話になったそうだ。
噂では、ゴールデンウィークにはスタッフは点滴をしてガンバッテいるそうだ。 真偽はとも
かく、それぐらい大変なことは間違い無い。

うどんブームの頃、何軒か、美味しいうどんを出すお店はあったが、山越のようにお客さん
優先で頑張ったお店は無いだろう。 逆にお客さんの言葉に耳を傾けず、現在では閉店して
しまったお店もある。

まあ、このあたりの山越の姿勢は、お店の前に置かれた、お客様用の傘や、テーマパークの
ように整備された、裏手の食事スペースを見れば分かるであろう。

値上げを抑えて、安値を続けていることや、天ぷらを自社製にしてグレードを上げたことや
お土産麺を外注生産せず、製造元の岡坂商店@満濃町 のブランドのまま販売し続ける
姿勢を見て、分かっている人は皆分かっているはずである。

その昔、うどんブームの折に、県外からたくさん観光客が来ても一杯100円のうどんじゃ全然
お金が落ちないと言ってのけたバカな町長がいたそうだが、綾川町は山越を表彰すべきであろう。

なにせ山越ブラックホールと言う言葉が生まれたように、土曜日や祭日にになると、山越の
近くを走っている車は全て山越の駐車場に吸い込まれていくと言うぐらいの人出だ。
綾川町を日本中に有名にした事は間違い無い。

さて、肝心のうどんの食べ方や注文の仕方を解説しよう。 車をどれかの駐車場に停めたら
行列に並ぶ。 入り口付近にメニュー看板があるので、最後にもう一度なにを頼むか決めて
おこう。






行列自体は、流れが速いのでそれほど恐れる事は無い。 店内にはいると、すぐ女将さんが
注文を聞いてくれる。 メニューの名前と、熱か冷かと玉数を告げる。 小か大と言う言い
回しでも構わない。 釜上げ一玉とか、あついかけ大 と言った具合だ。

お奨めはずばり:

NO1 冷たいつけうどん
NO2 釜玉
NO3 ひやしやまかけ
NO4 釜あげ
NO5 あついかけ

となる。 かけうどんが5番目に来ているのは、NO1~NO4のうどんが、無茶々美味いと
言う事だからでかけうどんが美味しくない訳では無い。 しかし何軒か廻るのなら、やはり
山越はここでしか食べれないメニューをチョイスするのがお奨めだ。

冷たいつけうどんは、とにかく出汁が美味い。 生姜は入れない方が良い。 また最初に
お店の人がネギを入れてくれるが量が多すぎるので、少し減らした方が良い。 出汁が薄味
なので、ネギが多いと、ネギの味の出汁になってしまう。

マヨラーの人は、ホンジャマカがやったようにマヨネーズうどんを試してみよう。
月見山うどんか、山かけうどんにマヨネーズに掛けるとサラダうどん感覚になる。思った
より悪くない。

冷たい系のうどんは、レジ前でスダチを見つけたら、迷わず購入してスダチをかけよう。
出汁が繊細なので、1玉につき半個が目安で、かけすぎは禁物だ。

釜玉の極意は、とにかくうどんを受け取ったら、すばやく混ぜて半熟化させることと、
かまたま用と大きく書いてある、ペットボトルの付け出汁を掛け過ぎない事だ。 少なめに
掛けて、物足りない場合は継ぎ足すようにしよう。 いたるところにこのペットボトルが
置いてあるので、焦る必要は無い。

熱い掛け出汁は大きなタンクに、夏場の冷たい掛け出汁は小さいタンクに入っている。

私のお奨めを読んで、つけうどんを頼もうと考えている方は、トレイ(おぼん)持参で行か
れる事をお奨めする。 お店にはトレイがないので、写真のような感じで受け取ったうどん
を席まで持って行くのが大変な事になる。





★平日と、土曜日や祭日の行列の長い日は、お代りのルールが異なる。 平日は行列に並び
 直さずに、レジ側から逆流して再注文OKだ。 行列の長い日はショートカットが禁止に
 なるので、複数のメニューを食べる時でも、最初にまとめて注文する事になる。

 トレイがあるとこの時に威力を発揮する。




下記にお店が入り口で配布している、【はじめてのれんをくぐられる方へ】と言うイラスト
入りの小冊子を掲載しておくので、事前の流れと、メニューを掴んでおいて欲しい。


___



山越うどん  讃岐うどん遍路
住所:   香川県綾歌郡綾川町羽床上602-2地図
電話:    087-878-0420
営業日   定休日 日曜日
営業時間  9:00ー13:30 
駐車場   140台





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この記事へのコメント
山越うどんさんは創業19年なのかもしれませんが、当時は食堂でうどんは作っておらず、町内のうどん屋さんが卸されていたと聞いた事が…
Posted by 匿名 at 2016年12月07日 21:07
匿名 さん>

さぬきうどん未来遺産プロジェクトの中のさぬきうどん 開業ヒストリー
山越版に田尾さんが取材した開業時の証言に次のような記述がある
ので食堂時も自家製うどんじゃないかと思います。


田尾  

その頃、食堂で出してたうどんは製麺所から買ってたんですか?

大将
戦前戦後あたりは、この辺に製麺所はなかった。その頃はどこでも家でうどん打ちよったから、玉売りをしても買いに来るような人はおらん時代ですから、この辺ではその頃は製麺所は成り立たなんだんじゃろな。だからうちも、店で出すうどんは親父が自分で作りよった。私が小学校に行き始めた頃(昭和23年頃)から、親父が私を負ぶってうどんを踏んだり、自分も踏まされたり手伝わされたりしよったから。けど、店で出すのと家でちょっと食べるぐらいやから、そんな量ではないで。あとは、ここらのお寺が「お講(飲み食いする寄り合いのようなもの)」をする時に、親父がそこでうどんを作って食べさせたりもしよったけど、それは年末ぐらいだけや。家でもそんなにうどんを食べた覚えはないなあ。昭和23年に小学校に行き始めて、昼ご飯にうどんを食べに戻りよったぐらいや。給食がない時代で、学校がすぐそこにあるから昼休みに家に帰って、うどん食べてから学校に戻りよった。それぐらいかな。

まあとにかく、この辺では当時、製麺で商売が成り立つような時代じゃなかったんやろなあ。普通の家の人は買いに来んし、店に卸す言うても、飲食の店は村ではうちぐらいしかなかったから卸先がない。
Posted by {^L^}{^L^} at 2016年12月07日 21:56
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